戦後70年にして詳しく知った、インパール作戦

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今年は2015年。そう、第二次世界大戦が終わってから70年目の節目の年。
そして今日は終戦日8月15日。

そんな節目の年だから、というのもありますが、
ミャンマーにいることも手伝って、
第二次世界大戦について調べてみました。

というのも、ここ最近の雨季の雨をいやというほど体験する中で、そう言えば、
この中で旧日本軍も戦ったんだよなぁ、と思って
こんな中で戦うというのは相当大変だなぁ、
そういえば東南アジアも戦闘地域だった
よな、どんな戦いがあったんだっけ、
とグーグルで調べてみると、

「インパール作戦」
という単語が出てきました。

インパール作戦、うっすらと聞いた事があります。

相当な負け方をした戦いだったと記憶しています。

「失敗の本質」、という本にも
なぜインパール作戦が負けたのかが出ていたと思います。
具体的な中身は忘れてしまいましたが、
兵站を無視した戦いで、敗北は明らかだったのに
戦闘に突入した無謀な戦いだったという事で取り上げられていたと思います。

そんなインパール作戦の名前の由来となったインパールというのはインドの東部の都市なのですが、
そこを制圧すべくミャンマー側から侵攻して制圧しようとしたのがこの作戦。

インパール作戦に参加して、運良く生還された方の手記を見つけました。
実際の戦いがどうだったのか、これを読んでイメージができました。
そして、悲惨な戦いは繰り返してはならないと思った次第です。

翔んだ青春  -泥んこ人生記-

インパールの戦いについて

戦後70年に学ぶ ミャンマー白骨街道のいま : 読売新聞

戦争は決して正当化されるべきものではありませんが、軍の命令により
戦闘に加わり命を落とされた方が現実にいらっしゃる訳です。国のために戦ったということで先祖を敬うのもこの機会にしかできないこと。

ミャンマーは太平洋戦争で日本軍の死者が4番目に多い国です。
まだまだ多くの方の遺骨がミャンマー国に残ったままといいます。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5225.html

この70年という区切りの年に、戦争について今一度考えるのもいい機会だと思います。

別の側面から見てみると、このインパールの戦いがあったからこそ、インドの独立が早まったという現実もあるようです。

■【賞賛される日本】中韓と異なるインドの歴史観と「インパール戦争」の評価
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140128/frn1401280736000-n2.htm

■インド モディ首相、インパール作戦参加の元兵士と面会!!
http://ameblo.jp/wintac/entry-11920780249.html

人間万事塞翁が馬、といいますが、
まさにこの戦いも、一方は多大な犠牲を生んだ最悪の戦いと呼ばれ、その一方ではアジア諸国の独立を生み、といった
二面性を持っています。

かといって、ミャンマー国内において、日本国軍が行った蛮行により
多数のミャンマー人が犠牲になった事実は消え去ることができません。

ミャンマー人への哀悼の意を持ちつつ、これからの
ミャンマー国との有効関係を築いていきたいと思います。

http://www.battleofimphal.com/

http://www.nam.ac.uk/exhibitions/online-exhibitions/britains-greatest-battles/imphal-kohima



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